京野澪
- 京野澪
京野澪
1994 埼玉県生まれ
2016 武蔵野美術大学 造形学部油絵学科油絵専攻 卒業
グループ展
2014 「EAT and ART展」銀座モダンアート、東京
2018 「いつおわるともなく」ギャラリーQ、東京
2018 「heatwarming2018」ギャラリーQ,東京
受賞歴
「第25回主体展」 佳作・新人賞受賞
私たちの生活に「アクリル板」が入り込んでからもう数年が経つ。この透明な壁はコロナ禍においてコミュニケーションの形が変化した象徴に思える。
それまで自然に行われていた会話や対話に少しの異物が入り込むことで、不自然を感じるようになったわけだが、
そもそも「自然」だと思い込んでいたコミュニケーションにも、見えないながらも小さな「不全」が常に生じているではないかと、これを起点に再認識し、コミュニケーションを軸に人と人の中間領域に存在するものの観測を試みる制作を開始するようになった。
私たちは言語や非言語的要素によって交流するとき,相手に対し自分の思いや意図が誤解なく伝わるよう努め,表現をしている。ときには言葉を噛み砕き,身振り手振りで伝達を試みる。あるいは意図を推測し,最大限に汲み取ろうと努力している。
しかしどれほど言葉で尽くそうと,お互いの意思を完璧に全て共有することはできない。言葉の間にはずれが生じたり行間が存在している。それゆえ私たちのコミュニケーションには齟齬や誤読が常に同居している。
どのような意図があるにせよ、どのような表象であれ「私」から離れたものは「あなた」に届きあなたの中で歪曲し分解され解釈される。伝わりきらないもどかしさもあるが、一方で「完全な意思疎通」を望んでいるかと問われると首肯しがたい。
私たちは完全な意思疎通を望んでいるわけではない。認識のすれ違いが思いもよらない出会いにつながることもあるからだ。また、お互いの認識をすり合わせていく行為も面白い。
時には、話の内容や意思伝達が再重要視されない場面も多々存在する。
他愛もない会話をしたり、くだらない話をして相手と共有する時間や空間そのものを重んじる場合もある。
友人と遊んで帰宅後、いったい何を話していたか思い出せないことがしばしばあるが、その時抱いた感情が履歴として脳内に保存されている。そのことが存在するだけでいいとも思う。
不完全なシステムによって私たちはときにすれ違うが、それでも試行錯誤しお互いに何かを共有しようと織りなす行為を私はとても愛おしく思う。コミュニケーションは齟齬や誤読にまみれているが、その間隙に宿るときめきを肯定したい。
今回の作品では友人6名に協力してもらった《会話の集積》という作品がある。私がキャンバスを携えて一人ひとり尋ねる。友人には私に対し「何か」を話しながら、支持体に無作為な線を描いてもらい、話し終えると同時に手を止めてもらう。線は無意識に描かれることもあれば意識的に書かれたものもあった。ゆっくり線を引きながら私との空間を共有する。会話という日常的な行いが特殊な行為のように照らし出されるようであった。そしてそこで交わされた会話は私が持ち帰り《きらめきと齟齬》という作品で出力する。「あなた」が話した事柄は私の中であなたとの脈絡のもとに解釈され、分解され、再構築される。1枚のキャンバスの上で交錯する異なる場所、時間で実践された6つのコミュニケーションは、織物のように交錯しその編み目が「わたし」を形成していく。
そしてあらゆる出来事は作品という形で私のもとから離れ鑑賞者へと届く。時間や空間も超えた一種の屈折したコミュニケーションとも言えるだろう。私とあなたとの間にも齟齬ときらめきが宿ると期待したい。
