日比 さつき

  •  SATSUKI

1994 年 大阪府生まれ

2021 年 「助教・助手展 2021 武蔵野美術大学 助教・助手研究発表会」武蔵野美術大学美術館・図書館 ( 東京 ) 2021 年 「View point」弘重ギャラリー ( 東京 )
2021 年 個展「またあした」GALLARY b. TOKYO( 東京 )
2019 年 「助手展 2019 武蔵野美術大学 助手研究発表会」武蔵野美術大学美術館・図書館 ( 東京 )
2018 年 「いつ終わるともなく」ギャラリー Q( 東京 )
2018 年 「Le Stelline」( 株 ) ホルベイン画材・本社ギャラリー ( 大阪 ) 
2017 年 「第 35 回上野の森美術館大賞展」上野の森美術館 ( 東京 ) 
2017 年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻 卒業
2013 年 「美の起原展 入選作品展」美の起原 ( 東京 )

「あと」について
私は「終わりと始まり」あるいは「死と生」というテーマのもとで制作している。主なモチーフである植物は、制作の長い時間 のなかで、枯れながら新しい芽を出す。そこには終わりと始まりが混在している。そして「他者」である植物を見つめ続けるこ とで、私は自分自身の存在も確認している。そこに存在していた「認識」は小さな歴史として画面に記録されていく。私にとっ て制作は、「他者」を通して「自己」を認識するとともに「他者」と「自己」の境界線、「生」と「死」の境界線、あるいは世界 と自己の存在について考え、その境界線を超えていく行為である。 しかし、私の中で、完成した作品はこれまで「過去」のものだった。それは「終わり」と「始まり」の曖昧さを探る行為と矛盾 しているようにも感じていたが、ひとつの作品としての完成による「終わり」の感覚をどうしても拭えなかったのだ。異国の地 での経験を経て、その感覚に変化が訪れるまでは。

この夏、スペインとイタリアに滞在した。美術館での研修が目的だったが、現地の住民と共に過ごす機会にも恵まれた。彼女た ちは自分達の住んでいる街の文化や歴史を語ってくれた。彼女たちも英語が母国語ではないし、私の英語力はごく拙いものだ。 しかし、十分な意思疎通が難しいなかでも、複雑な内容を噛み砕き、何とか伝えようと熱心に説明する姿に、彼女たちにとって 街の伝統-過去-がいかに重要なものであるか実感させられた。

スペイン・マドリードのレティーロ公園は、夏はバカンスで閑散としているが、普段は街の人々にとっての憩いの場であること。 公園のモニュメントは街の守神 であること。

イタリア・チェゼーナでは、ヨーロッパで最初の公共図書館とされるマラテスティアーナ図書館の彫刻。街の教会での祈りの作法。 「ここは、この街で一番ご利益のある教会なの。」

チェゼーナの街を案内してくれた女性は、こう付け加えた 「もちろん、私にとっては、ね。」

その時、彼女にとって、この街の歴史や文化は単なる「過去」ではなく、現在の日常にも深く関わっているものなのだと気づいた。 キリスト教の公的な教義では、特定の教会に特別なご利益があるということはない。しかし、その教会は彼女にとっては、特別 な場所なのだ。それは、その教会と共に歩んできた街の歴史が、彼女の日常にいまも影響しているからこそ生まれた、リアルな 感覚なのだろう。私は自分の街について彼女のように雄弁に語ることはできないし、仮に挑戦してみても、それはガイドブック から借りてきたような、型通りの説明にしかならないだろう。しかし彼女にとって街の過去は「私にとって」と言えるような、 生き生きとした現在でもあるのだ。 そして街の歴史を語るとき、彼女たちは特別な雰囲気ではなくごく当たり前の話としてそれらを話してくれていた。街でこれま で起きたこと、今起きていること、これから起こること-つまり、街の過去・現在・未来―のすべてが彼女たちの大切な日常の 一つなのだ。たとえ、それが彼女たちの実際の生活に直接関わっていないとしても、自身を形作る要素のひとつとして大切なも のであることをこの夏、強く感じた。

彼女たちが話してくれた、過去・現在・未来のつながりは、私の制作にも通底しているのではないだろうか。これまでの作品が あるからこそ、今の作品を作ることができ、これからの作品にも繋がっている。

今回の展示では過去の作品から最近の作品を共に展示している。曖昧になった境界線から新しい「始まり」が生まれる。 これまでの制作としての「跡」、作品として残していく「痕」、そしてこれからの制作の「今後」を考える展示とするための「あと」 として、この展示を残していきたい。